カスバについて


◎モロッコのカスバの分類:
カスバを城砦型建築物であると定義すると、機能的に3種類に分類できると思います。
○地域支配者の砦(役所)
○農家が城砦化したもの(農家)
○共同倉庫(倉庫)
集落の周囲を城壁で囲ったものをモロッコではクサールと呼んでいます。
モロッコ南部では、フランスに植民地化されるまで、農家が、それぞれ孤立して建てられることは、なかったでしょう。(北部については、よく知らない)
モロッコ南部で、孤立して建っているカスバは、それほど古いものではないでしょう。
アイト ベン ハッドゥを例に取ると、アイト ベン ハッドゥは、クサールです。クサール内の各戸が、カスバ型住居です。
地名にカスバが付くのは、地域支配者の砦(役所)がある場合のようです。
例、カスバ タウリルト、カスバ ティフリトゥト等。アイト ベン ハッドゥは、カスバ アイト ベン ハッドゥとは言わないです。
世界遺産のアイト ベン ハッドゥの住民のほとんどは、川の反対側の地域に引っ越しています。
フランスの支配下に入り、住民は、はじめて保護され、クサールの中で生活する必要がなくなったのです。
もちろん、昔から地域の支配者は居たのです。
クサールは、その支配者に対して発達したものではありません。
クサールの敵は強大な地域の支配者ではありません。もっと小規模の勢力であったはずです。
地域の支配者は住民から搾取するのみで、住民の安全を守ってくれなかったのです。
◎共同倉庫について
共同倉庫はイグレムとかアガディールとか呼ばれています。現在の社会では機能していません。
共同倉庫について考えると、昔のモロッコ農村社会が見えてくるように思います。
共同倉庫の外見は、ほとんどカスバ型住居と変わりありません。内部には、たくさんの小さい部屋が何層にも配置されています。
この小さい部屋が倉庫です。小さい倉庫には階段がありません。
倉庫の入り口辺りには、平たい大きな石が出っ張っていますので、これに、はしごをかけて上り下りしたものと思われます。
共同倉庫の機能がクサールから消えた時期は、フランスがモロッコを統治してからです。
村人がクサールを出て、別の場所に住居を構え始めた時期に一致しています。
共同倉庫の建設された場所は、クサール内の高台が多いように思います。
高台は外部からよく見える場所ですから、共同倉庫の敵は外部の者では、なかったことが判ります。
私が聞いたところでは、村人からよく見えるように、高台に建てられたそうです。
誰が共同倉庫に入ったか、よく判るように。
共同倉庫には、もちろん番人が居ました。
倉庫に保管されたものは、穀物が主だったようです。
私が想像するには、クサールのカスバ型住居には、一つのファミリーの何世代もの所帯が暮らしたので、個人の所有財産を明確にするため、外部の共同倉庫が必要になったようです。
共同倉庫の敵は、身内だと思います。
共同倉庫は、クサール内で銀行的な機能も果たしていたそうです。
種籾の貸し借りが、運営組織によって行われていたのでしょう。
フランスがモロッコを統治してから、モロッコの社会は大きく変化したことがわかります。
◎土の建造物
モロッコ南部のカスバは、土で作られているところが多いです。土以外では、石です。
なぜ、土で建設したかの答えは、簡単です。
それ以外になかったからです。
冬暖かく、夏涼しいのは、確かですが、この機能を求めて土で建設したのではなく、土しかなく、結果的に冬暖かく、夏涼しい機能を得たと考えるのが順序でしょう。
マラケシュやフェスのメディナの建物は、土の建造物ではありません。焼いたレンガが使用されています。やはり都会的なのです。
土でカスバを作る場合、構造的な部分の壁は、フランス語でピゼと呼ばれる工法で作られます。
型枠の中に土を入れて突き固め、厚み50cm、高さ80cmくらい、幅160cmくらいのブロックを作り、それを、横に並べて作り、上に重ねて行きます。
間仕切り壁や屋上の階段の上屋等は、日干しレンガのブロックを重ねて作ります。日干しレンガの寸法は、20cmX40cmで厚みが15cm位のものが普通です。
床は丸太を40cm間隔くらいに並べた上に、竹のようなもの(葦)を敷き、その上に10cmくらいの土をかぶせます。
土の建造物は、床が木造なので耐用年数は木造と同じで50年くらいでしょう。